というか、また7月。
この間、とあるパーティーに数年ぶりに参戦。
とあるイベントのフライヤーを見つけて
そこにいつも書かれていたはずの
とある人の名前がないことを認識したとき
ああ、いなくなっちゃったんだな、と
ジワッと実感。
華やかなパーティーで一人ぽつんと暗くなるし。
暗くなったあげく、タイミング悪く現れたマスクマンに
八つ当たりで因縁つけちゃったりするし。
・・本当、私は全然変わってないのに
変わったのは君がいないことですよ、と再び実感。
ちょっと前に、
ずっと疎遠になっている大学時代の友達から
かつての親友が結婚するのだけど・・という報告を受けたのだけど
相手が生きたままで「失う」のと
本当にいなくなっちゃう「失う」は
違うのだな、とようやく実感。
友人として、人として、
どの人の、どの部分とお付き合いするか、
というのは、関係性や環境で微妙に変わってくるけれど
私が付き合っていた彼女は
きっと素の部分に近い、
かよわく、繊細な部分だったから
どんなにひどい言い方をする奴や
悪い噂をたてる奴がいても
その「素」の部分が
私の中での「彼女像」なわけで
なんか、そういう誤解を持たれたまま、
未だ持ち続けられているまま
超特急であっちの世界にいかれてしまったのは
人事というか、彼女事なんだけど
なんというか、めちゃくちゃ悔しい。
人付き合いというのは
きっとカメラのシャッターを切る瞬間と
とても似ている。
焼き付けられた瞬間が
笑顔だったか。憎しみに震える顔だったか。
それによって行く先は変わってくる。
同じ一人の人間のなかに
無数の表情が隠れているわけで
そういうことを頭では理解してても
ココロで理解できない人間が多すぎると感じる。
ボランティアとかなんだとか、
偽善で人を追い詰めていくのに
無性に腹が立ち、
爪を立てずにはいられなかった私がいる。
追い詰めた人間は
爪を立ててる私の前で
ひたすら腰低く、
いろんな言い訳を放っていったのだけど
一歩そこから出ると
また偽善者節炸裂で
僕がんばってまーす
イエーイ♪ピース♪
なんてやっちゃってたりもするわけで
こういう言い方はなんだけど
本当ぶち抜きたくなる衝動に駆られ
その衝動に駆られないようにするために
私自身、現実を見据える行為と
距離を置いてきたのだな、
・・と、そのフライヤーがぼそっと、
本当にぼそぼそっと、気付かせてくれたりした。
かといって、
自分が何ができたのかと考えると
何もできてないのだけど、
つくづく人の死の前では
自分、無力なんだなと感じるのだけど
約束だけは果たさねば、
と一年ぶりに一念発起。
・・安らかになんて眠らせないのです。
不器用な人のことを語るのに、
不器用な人のことを伝えたいのに
器用なやり方なんて、やっぱり選択できませんわ、わたし。
・・っつーか、すっげー不器用。
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